【ユネスコで最も成功した条約】世界遺産条約の成り立ち!
こんばんは。
だいばおです!
お盆休みですね。今年の夏は「特別な夏?」ということで、コロナの件で
帰省するか悩んでいる人も多いのはないでしょうか??
私は東京都在住で、おばあちゃん家が名古屋にあるのですが、今年は帰らずに東京にいようかなと思います(´;ω;`)
さて、今回は【ユネスコで最も成功した条約】と呼ばれる世界遺産条約の成り立ち
について解説します。
まず、結論から説明すると
・IUCNが進める自然遺産の保護条約
(IUCNについては後の記事で詳しく説明します!!)
の3つが融合したものです!!
まず、ユネスコが進める文化遺産の保護条約について説明します。
世界遺産の始まりという記事で紹介した、1960年のヌビアの遺跡群救済キャンペーンからユネスコはその後、イタリアの「ヴェネツィアとその潟」やインドネシアの「ボロブドゥール寺院」などの救済キャンペーンを次々と実施していきます。
こうした状況から、ユネスコは1970年から文化遺産の保護条約作りを進めていきます。
ここでは、あくまでも文化遺産に限定してリストアップしようと考えていました。
一方で、IUCNは、1958年に国連加盟国が国立公園や同等の保護地域のリストを作成することを求める決議を採択をしました。
この決議は、第二次世界大戦後、多くの国は独立を果たし、国立公園や保護地域が設立されたが、制度上まだまだ未熟であるため、国際協力が必要だということで決議されました。
この国連の保護地域リストは1960年代のアメリカで、
【世界遺産トラスト】
という構想へと発展していきます。この【世界遺産トラスト】は現在の世界遺産条約に非常に近く、世界で優れた自然や文化を世界遺産トラストとしてリスト化して、保護していくというもので、自然と文化を一緒保護していくというのが特徴です。
そして、1972年という世界初の国立公園であるイエローストーン国立公園が設立された1872年から100年の節目の年に、
・IUCNが進める自然遺産の保護条約
が融合して世界遺産条約が採択されたという流れです!!
いかがでしょうか??
これだけ、同時期に同じような取り組みが行われていたのは、驚きですよね。
第二次世界大戦の反省を活かすのがユネスコですから、保護していくことで多様性が保たれ、異文化理解につながることで、世界平和が生まれていくという世界遺産条約がユネスコで最も成功した条約と呼ばれるのも納得ですね。
※パソコンがガーガー言ってます(´;ω;`)大丈夫でしょうか。。。
ではでは!!!